ありがたいことに、6月8日にコロナワクチンの2回目が終了しました。今現在、65歳以上の高齢者の接種は10%も行かない中、2回目の接種ができたのはラッキーでした。ワクチン接種とPCR検査の徹底をすれば、人の動きは問題ないのに?五輪問題など政府のお粗末さは国民も呆れています。でも、次の政権に変わるべき野党の不甲斐なさもうんざり。日本ってこんなレベルなの?ってがっかりします。救世主は出ないのでしょうか???
最近は菅総理の長男の接待問題ばかりが話題です。東大出など日本ではトップクラスの官僚たちが法に触れることを平然と行う。我々凡人だって、法に触れることはなかなかしないもの。でもこの方々は、結構やってしまう。何故?我々凡人より、ずっと頭のいい人たちが?学歴主義の日本で、頭のいい人が高学歴で世の中のトップに立つ、当たり前のことと思っているのでしょうか?頭がいいことと、いろんな事象に対して対応できるかということとは別問題ではないでしょうか?頭が良いからといって、応用力があるとか創造力があるとか問題を解決する能力があるとかとは言えないのでは?コロナの始め、アベノマスクなんてありましたが、サイズが小さいと悪評。あのサイズは女性サイズ。単純な発注ミス?そんなことも分からないの?って感じ。菅総理の長男の接待問題に対する官僚トップの返答も、これが日本のトップクラスの人たちなの?って疑問を持つ人も多いのでは?頭がいいとか高学歴の人が人間として高レベルなのか疑問です。いま日本人はカン違いしているのでは?トップクラスの大学を出なかった人間のひがみでしょうか?
2021年1月7日。新型コロナウィルスの感染が東京では2447人、日本全国では7000人を超えました。コロナが発覚して1年余り、日本の問題だけでなく世界中で起こっているので、情報は瞬時にニュースなどで我々に伝わってきます。今日も日本のトップが東京一都六県に緊急事態宣言発令をいたしました。ただ原稿を読み上げるだけ。ヨーロッパの首相などのメッセージに比べると迫力もない。施策の中途半端。こんなんで半年後の東京オリンピック・パラリンピックができるのだろうか?とても不安を感じます。
私が大学に入った時は、早稲田大学の学費闘争の真っ只中。入学した中大も神田駿河台校舎は閉鎖。夏から八王子の仮校舎で授業がスタート。私はあまり授業に出ずバイト三昧。それはともかく、あのころ世の中に不満を感じ行動していた人たちは、今何を感じているのだろうか?今の理不尽な政治や社会に対して無反応は何故なんだろう?ただの麻疹(はしか)か一過性の出来事だったんでしょうか?私たち団塊の世代も残り10年余り。こんなニッポンでいいのだろうか?このコロナ禍、世の中は変わろうとしています。仕事にしろ生活スタイル。あらゆるものが、変わろうとしています。我々が青春時代に熱く燃えた心は戻って来ないのでしょうか?
これから団塊の世代の人たちが、後期高齢者となり日本の経済の足を引っ張ろうとしています。コロナ禍、今の世の中に疑問をお持ちにならないのでしょうか?学生のころ学費値上げに対しての闘争や、ベトナム戦争に対しての闘争はなんだったのでしょうか?私もデモにも参加しました。飯田橋か水道橋で機動隊と衝突。足音と盾の金属音が迫り、その恐ろしさは今でも思い出されます。大学に戻っては、授業ボイコットなど、あのころは何だったんだろう。私は、少しして普通の学生に戻ってしまいました。私は、東京に実家があったので、一年ぐらいのアパート暮らしで家に戻ってしまいました。新宿のアパートぐらしでは、中央や法政・東大などの人たち10人ぐらいいました。その中には学生運動をやる人やパクられた人もいたようです。この方たちは、今何をコロナ禍考えているのでしょうか?私たちは、あと10年ぐらいの命です。後世に何を残せるのでしょうか?
昨日17日からアベノマスクの配布が始まりました。届いた市民から小さいのでは?という問い合わせが厚労省へ?今後もサイズの変更はない、との答えだったそうです。なんとサイズは14.5×8とか9センチとのこと。これ、女性か子供サイズ。だから安倍さんがちんちくりんのマスクをしているんだ?466億円も使って、これってあり?ひょっとすると、マスクのことを知らない人が発注?466円?いや466億円を使って。(笑)
今や新型コロナウイルスで日本中・世界中が危機に瀕しています。手洗い・うがい・マスク。3密と言われるような人との濃厚接触は、極力避ける。専門家と称する人がいろんなことを言っている。誰の言葉が信用できるの?行政は?と言えば・・・。今朝のテレビ番組で、コメンテ-ターが声を荒げていた。ホント。何をやっているんだと、叫びたくなる。
もう、自分は自分で守るしかないのか?ストレスは、病魔が入りやすくなる。抵抗力をつけて、健康な体を保つこと。後は神だのみ?
私の父が戦争へ行く時に、神社にお参り。その折、神主が「これを持って行きなさい」と手渡したのが大祓詞が書かれた紙。父は、いつも肌身離さずに持っていたと言う。戦友が艦砲射撃で腹をえぐられた時も、横にいた父は助かったとか。乗る予定の戦艦に乗れなくて助かったとか。いろいろあったようですが、「オレは白馬に乗った神様がいつも助けてくれた。今でも銃弾の破片が耳の奥にある。もし、止まってなく貫通していたら死んでいただろう」と。
今は、身も心も清浄にして、コロナウイルスに打ち勝ちましょう!神道には、神事の前に必ず邪悪を祓い清めるための祝詞(のりと)があります。また、神事の中で多く読まれる大祓詞(おおはらいことば)があります。手洗い・うがい・マスク。3密と言った濃厚接触はしない。人を思いやる気持ち。心も清浄に致しましょう。
クラウドファンディングサイトREADYFORに掲載されます。下記URLは公開前のものです。
https://readyfor.jp/projects/umeya/preview?preview_token=7c8d88df3be701a46d7bc843049900e59cec4b80
●公開後のURL
https://readyfor.jp/projects/umeya
我が家の2階ベランダより撮影。
今年は、自然災害の多かった年です。自然は美しく素晴らしいものですが、人間の力では抑えられない怖さもありますね。
桟橋のあたりは、氷が打ち寄せられていました。
湖面も少し凍るようになりました。隣の山中湖は更に河口湖より寒いので、もっと湖は凍っているようです。どちらの湖も、氷の上に上らないようにと、町がアナウンスしています。
(昨年は、こんなコメントを書いていて、ちょっと恥ずかしい。お客様に満足してもらえなかったのをお客様のせいのように・・・・・。努力が足りませんね。反省。)
チップ付のサンキューレターでした。
チップよりアリガトウの手紙の方が、うれしかった。
1年余り、いろんな国の方が来られました。
とかくこの国の人は、あまり良くないとか、良いとか?
でもそれは違うんだと思っています。
国ではなくて、人なんです。
日本人は、礼儀正しく・親切などと言われますが、それも全てではありません。
ひどい方達もいます。
やはり国ではなく、人。
人によってそれぞれ生い立ちも違うでしょうし、教育など違うでしょう。
でもその人はその人。
今日は、ちょっと心が和みました。
追伸:昨日テレビ東京の担当デレクターより、「YOUは何しに日本へ」の放送予定日の連絡がありました。
8月28日(月)予定とのこと。どのような内容になっているか、楽しみとちょっと不安と。
タイトルは、
「アワ歌とコトタマの謎を解く――新発見の本庄家古文書が明らかにしたこと」
内容は、「河口湖畔で代々富士山御師を務めていた本庄家の屋根裏部屋から、ほつま文字で書かれた約250年前の古文献が出てきた。それには、古来謎とされてきたアワ歌の意味や歌い方まで記されていた。アワ歌は、アで始まり、ワで終わる48音の歌で、天と地をつなぐ歌とも、五臓六腑を元気にする歌ともいわれている。発見された本庄家文書によって、古代歌謡アワ歌の意味を知るとともに、参加者全員で48音の響き合わせとウオアエイ、アオウエイの共鳴を体験したいと思います。あわせて、本庄家が伝えてきた伯家神道の祝詞(トホカミエヒタメ、ヒフミヨイムナヤコト)を紹介し、それが心身と周りの環境にどのように作用するのか、実体験していただきます。古代人が唱えていたコトタマの響きを、追体験していただく良い機会です。」
講演は、6月3日(土)午後1時~4時
集合場所…河口浅間(あさま)神社前の梅谷・本庄家に午後12時45分迄に集合 富士河口湖町1129 090-1736-6630(本庄)
●講師:宮崎貞行先生 (昭和20年生まれ、官庁、大学を退職後、現在コトタマの神秘を探求。本庄家のほつま文書の発見者。)
著書「アワ歌で元気になる 驚きのコトタマパワー」
「隠された言霊の神 ワカヒメさまの「超」復活!」
「寄りそう皇后美智子さま 皇室の喜びと哀しみと」他
●参加者 20名まで(電話かメールでご予約ください。)
●参加費 2,000円(税込)
東京からの方は、新宿発河口湖行きの中央高速バスを予約すると便利です。 https://www.highwaybus.com/ 京王バス予約センター 03-5376-2222
※新宿バスターミナル発、9時45分または9時55分の便(1750円)で来られる場合は、河口湖駅にてお迎えします。早めに来られた場合は、タクシ
ー(約2000円)で河口浅間(あさま)神社前までおいでください。
(バスですと甲府または大石・芦川農産物直売所行で、河口局前で下車。料金は310円。ただし、1時間に1~2本しかございません。)
宿泊を希望の方は、本庄家の古民家に泊まることができますので、ご連絡ください。
本庄家の古民家は、1776年に建てられた冨士河口湖町で唯一現存する御師の家です。展示場もあり。 「御師の家 梅谷」ホームページ https://aoaplan.jimdo.com/
●電話 090-1736-6630(本庄) メール aoa@growing-japan.com
※ご宿泊者数 10名までとさせて頂きます。(電話かメールでご予約ください。)
宿泊される方のために、翌日のツアーも用意しています。
6月3日(土) 午後6-7時は、近くの温泉に(各自実費)。 夕食の後、囲炉裏を囲み講師らとビール歓談(夕食・酒代は、各自実費)。
6月4日(日) パワースポット山宮社、河口浅間神社、母の白滝でコトタマを響かせます。伯家学頭森昌胤の墓、徐福の方墳等を訪ね、感謝のアワ歌を捧げます。
※お昼は地元名物の「ほうとう」を満喫(各自実費)。
解散は、4時頃を予定していますので、河口湖発新宿行きの17時10分か17時40分の便を事前に予約しておくことをお勧めいたします。
1月15日、御筒粥(おつつがゆ)の結果が出ました。今年の農作物の作柄を占います。
14日夜の11時半ごろから15日の午前1時半ごろまで、御筒粥の神事が社務所にて行われました。
古式に則り、神主たちが祝詞(大祓詞)を36度奉唱し、銅の大鍋に米2升、粟、稗(ひえ)、大豆各2合の五穀を入れ、勝ノ木(軍神木)の薪で囲炉裏にて炊き上げられます。鍋の中に入れられたよしの簾に入った粥の様子から今年の農作物の作柄を占うのです。
2017年1月9日。昨日から降り続いた雪で、積雪43cmの大雪でした。
昨年は、7月から住まいの2階の一部屋を民宿「御師の家 うめや アネックス」としてオープン。
既に十数カ国のお客様がお泊りになりました。やはり生活習慣も違いますので、あれっ?て言うこともありましたが、
なんとか気に入ってもらえたようです。
できれば夏には、母屋での体験宿泊ができればと願っています。
2016年12月31日、夜10時。
初詣を前に、静かな神社の境内です。
水木しげるの「怪」で、「富士山と河口湖 その周辺の伝説」が紹介されました。
民宿を始めて約4ヶ月が過ぎました。もう既に10カ国以上の国の方々がお見えになりました。ヨーロッパ、アメリカ、東南アジア、中国などからで、まるで海外旅行をしている感じです。今まで私もハワイなど数ヶ所は、海外に行きましたが、現地の方とそれほど接したり話をしたりなどはしていませんでした。今は短い時間かもしれませんが、話をしたり一緒に行動したり、習慣などは違うかもしれませんが、みんな同じ人間なんだと感じる今日この頃です。(11月2日)
10月17日。夕方。母屋のチャイムが鳴りました。出てみると、神社の社務所へ行ったが誰もいなかったので、人に聞いて我が家に来られたとのことでした。お話を聞いてみると、仕事の用事で河口に来られ、その折、神社を知ったらしい。古い由緒ある神社と知り、「願」をお掛けになったとのこと。そして見事に宅建の試験に合格され、そのお礼にとお酒を持って来られ、奉納してくださいとのことでした。神奈川から来られた方でした。ありがとうございます。本殿に奉納させて頂きます。感謝。
9月25日、富士山初冠雪?
ここ数日、曇りや雨でしたので分かりませんでしたが、早くも富士山に初雪です。
去年より16日早いとのことです。
夏も過ぎ、これからは寒い季節がやって来ます。
何も分からないままに7月に民宿をオープン。宿泊業の許可が下りて、旅行サイトに手配。どんな人たちが予約するんだろうと心配でした。ほんとうにやって来るのだろうか?最初の宿泊者は、知り合いの日本の方。それからは旅行サイトからのお客様。運よく日本にいる台湾の方でしたので、何とか日本語で通じました。以後、スウェーデン、チェコスロバキア、イスラエル、イギリス、フランス、上海、アメリカ、ベトナムと世界各国からのお客様。ここで大活躍したのが、タブレットとスマホの音声翻訳。これがなければ、どうしようもありませんでした。ただ、翻訳はまだ完璧ではありませんね。国も、東京オリンピックに向けて音声翻訳のレベルアップを目指しているようです。
驚いたことに、どこの国の人も英語ができるんです。チェコの方に聞いたところ、大きな都市に住んでいる人は、ある程度しゃべれるそうだ。日本ではどうか?大都市の東京や大阪では、英語をしゃべれる人が沢山いるだろうか?否、と言えるだろう。学校でも何年勉強しただろうか?でもしゃべれない。先日、ベトナムの若い夫婦が来られた。ちゃんと英語がしゃべれる。でも途中から、翻訳ソフトでベトナム語でのやり取りになった。この音声翻訳は、殆んどの国の言語が利用できる。ほんとうに時代は進化したものです。
また、驚いたことに皆んな行儀が良いことです。正直言って日本人に比べて行儀はいまいちかな?と思っていましたが、そんなことは無かった。この数ヶ月にいろんな国の方とお会いしました。これから、またどんな人たちとお会いできるのか?楽しみです。(9月20日)
追伸:今、宿泊業で欠かせない三種の神器は、ネット(パソコン)・スマホ・タブレットでしょうか?
ほんとうに、これがなければやっていけませんね。音声翻訳の進化は、すばらしいものです。
年寄りの私でも、何とか利用できます。(9月25日)
7月25日、ヲシテ文字の本がご縁で池田先生とイルカさんが初めてお会いになりました。
7月23日には、河口湖のステラシアターでイルカさんはコンサート。また、池田先生もちょうど河口湖へ遊びに来られると言うので、タイミングが良く会うことができました。ご存知のように、イルカさんは冨士河口湖町の名誉町民でもあります。夜には、28日に河口浅間神社で奉納される「稚児の舞」の練習があるとお話しすると、夜までお付き合い頂き、練習風景をご覧になりました。イルカさんは、着物の創作でも有名ですが、こんど富士山と「稚児の舞」をモチーフにしたお着物を作られるとか。是非、皆さんにも見せて頂きたいものです。
●イルカさんの公式サイト
河口浅間神社と富士山御師・本庄家とヲシテ文字を訪ねて!富士河口湖町再発見!!
http://www.iruka-office.co.jp/essay/201510post-394.html
7月22日、朝から富士山を目指されました。河口湖のバス乗り場までお連れしましたが登山者はあまりいませんでした。バス会社の方に聞くと、やはり天気が悪いので少ないようだと。夜に戻られ、富士山は雨で寒かった模様でした。翌日も天気が悪そうなのでご来光は断念。でも、陽気な3人さんは、十分に富士山と河口湖を堪能したようです。帰る日の朝、冨士山も少しだけ雲の上から頭を覗かせていました。ちょっとだけでしたが、見えてよかった!
こんな富士山が見れれば良いのですが、残念ながら明日、7月22日は曇りのようです。
今日は、スウェーデンからのお客様3人連れ。明日は富士登山です。
天気が悪いので、明日は朝から登り、翌日、ご来光を目指すとのことです。
あさって天気になーれ!
(7月21日)
民宿をスタートして、初めての外国のお客様。
台湾からの親子連れの方たちでした。
娘さんが日本語ができたので、ひと安心。
河口浅間神社や母の白滝などをご案内しました。
富士山も、何とか見えたので良かったです。
(7月16日)
7月1日。富士山が山開き。
頂上目指して、六根清浄。
今日3日は、全国的に真夏日。
明日は、すばらしいご来光が見れるでしょう。
(7月3日午後10時)
「測量・地図への関心を高めることに功績があったと、制作スタッフが国土地理院から今年の「測量の日」(6月3日)の功労者に選ばれたNHK「ブラタモリ」(土曜後7・30)が4日に放送され、平均視聴率は18・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが6日、分かった」。「人はなぜ伊勢を目指す?」をテーマに、江戸時代には日本人の6人に1人が訪れていたという伊勢神宮の知られざる一面を探った。番組では、伊勢神宮は2回に分けて紹介。11日放送ではタモリが江戸時代の「お伊勢参り」を追体験する。とヤフーなどの記事に載っていました。
私もちょうど見ていましたが、江戸時代に伊勢神宮への参拝者が増えた一つの要因として御師(おんし)の活動があったと紹介されました。伊勢の場合は「おんし」と呼ばれていました。伊勢御師と呼ばれる人たちは、確か600人以上だったとか?御師としては一番の勢力だったと思われます。富士山御師は、吉田と河口で合わせて200人ちょっと。富士山世界文化遺産の構成資産として旧外川家の御師住宅と小佐野家の御師住宅がございますが、最近次第に少しずつ御師という存在が知られてきたかな?と感じる今日この頃です。(6月4日)。
現在、7月1日民宿オープンを目指して作業を進めております。明日は、下水道などの環境課へ。7日には保健所へ。ようやく終わりに近づいてまいりました。できうるならば、昔、我が家が御師として、富士登山を目指す方々や富士山を愛する方々をお泊めしたような宿坊に成れたら良いなと思っております。(6月2日)
5月13日。今日も人とのご縁がありました。午後、庭の畑で作業をしていると、母屋を訪れる3人連れのお客様がいらっしゃいました。展示場をご案内して、さらに中の部屋をご案内いたしました。いろいろお話をしているとお一人の方は、以前にもこちらを訪れたことがおわりだったとか。イルカさんの公式サイトをご覧になって我が家をお知りになったようです。その時は、私も不在で展示場だけをご覧になったとのことでした。部屋の中をご案内して、江戸時代当時には神殿であった上段の間にきて、いろいろお話をしていると、お連れの女性が神様が部屋に今、2人いると言われました。体も硬直した様子で言葉もしどろもどろと言った感じになられました。この方は、どうも霊感を感じる方のようです。いづれにしろ、ご先祖様がこの方々を導かれたことなのでしょう。感謝の一言です。(5月13日)
御師料理が復元できる?
江戸時代後期、富士講で栄えた河口の隣町・富士吉田では富士登山をする道者さんに提供した食事、いわるる御師料理を2年がかりで調査し、伝統料理としてブランド化する、という。
当家にも、江戸時代の食器やお膳や食器入れなどは残っていますが、その当時のメニューがまだ見つかっていません。ただ食材の仕入れや道者さんからの食事内容の要望などの文書は少し残っています。
それらを総合すれば、ある程度想像がつくかもしれません。
ただ、隣町のことですが、うらやましい。富士山信仰のこと、そして御師のことなど積極的に予算を組んで調査研究など取り組まれています。富士吉田は数多くの御師住宅がまだ残っていますが、河口湖町では当家一軒しか現存していないのに!ちょっと寂しい感じです。
●富士講信者おもてなし 「御師料理」ブランド化(読売新聞より)
http://www.yomiuri.co.jp/local/yamanashi/news/20160411-OYTNT50148.html
私は、2016年3月5日で67歳になりました。約8年前、母親が88歳頃にこの河口にやって来ました。父親も亡くなり20年余り母親は一人暮らしをして おりました。そろそろ面倒を見ようかと言う名目で、家族を千葉に残して単身赴任でやって来たのです。当然、その時は神社に奉職するなどと考えもしておりませんでした。ただ、こちらへ来てから、知り合いから「御師」って知っているか?「宿屋の主人だよ」とか、知り合いでもない村の人から「お宅は本家ではない よ」とか言われました。それがモチベーションとなり、父親や父親の兄弟達がうちは歴史があってご先祖さんがどうのこうのと言っていたことを、自分で調べよ うと思いたったのです。そして数年後、母屋を展示場にして、河口の御師ってなんだろう?うちのご先祖さんは、何をしていたんだろう?と言う思いで古文書や資料を集めお見せしております。また、展示場を開設する事によって、人とのご縁やめぐり合いがございました。現在の河口浅間神社に奉職することができたのも人とのご縁です。人生って分からないものです。また明日もどんなご縁があるか わかりません。楽しみです。
2月23日は富士山の日です。山梨・静岡の両県共催の記念式典が、富士吉田市民会館で行われます。午後2時から4時まで。
本日2月3日は節分。河口浅間神社では、3時と3時30分の2回豆まきが行われます。ふるってご参加ください。
2月23日。フジサンの日です。河口湖では、この冬最後の冬花火(20:00~20:20 )が行われます。(富士河口湖町観光課)
本日2月17日、河口浅間神社で祈年祭(きねんさい)が執り行われました。
※「祈年祭」は「としごいのまつり」ともいい、毎年二月十七日に全国の神社でその年の五穀豊穣を祈願するお祭りです。 ちなみに「年」とは稲を意味し、稲穂を蒔(ま)く季節の初めにあたって、その豊穣(ほうじょう)を祈願するわけですから、いいかえれば人間の生命の糧(かて)を恵んでくださるようにとお祈りするお祭りといえるでしょう。 したがって、一粒の米にも神さまの御霊(みたま)が宿ると考えられているのです。 秋の新嘗祭(にいなめさい)と相対するお祭りです。
ありがとうございました。節分の行事は、子供達やお母さん方でおお賑わいのうちに終了いたしました。
次の神社の行事は、2月17日に祈年祭が執り行われます。
正月14日、今年一年の農作物の作柄や世の中を占う「御筒粥祭(おつつがゆさい)の行事」が行われました。
筒粥祭 河口浅間神社で伝統の神事 農作物の作況占う /山梨
(毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160118/ddl/k19/040/069000c
正月14日の午後11時半ごろから15日の午前1時ごろに渡り、御筒粥の神事が社務所にて行われました。
平成28年のお筒粥の結果です。
富士山、桜、五重の塔。
五重塔と桜と富士山という奇跡の様な取り合わせを見ることが出来ます。海外のサイトで評判。「これは合成?」という意見が出るほどの絶景ポイント。今年の桜祭も大盛況でした。新倉富士浅間神社(別名:忠霊塔)。
富士山、桜、河口湖。
こちらは、恒例になった河口湖町の桜祭。今が満開です。今年は、幾分お客様が少ないかな?富士吉田市の新倉浅間公園の桜祭にお客様が取られたのかも??明日17日まで開催。
4月25日(月)、河口浅間神社で例大祭(孫見祭)が行われ、「稚児の舞」が奉納されました。
「稚児の舞」は、2013年に国より記録作成などを行う必要がある「無形民俗文化財」に選ばれました。そして、2年間の調査が行われ、今年の3月に調査結果が発表されました。
1600年代には、既に御師の家で行われていたようです。我が家から出た古文書では、寛文2年(1662)に大々神楽大神事を記録されたものが、正徳5年(1715)秋に写され、また文化2年(1805)7月に矢作部高通によって謹写されたものを本庄静衛が複写したと古文書には書かれています。また、製作時期は不明ですが、我が家から出た「冨士山大々神楽図」には、8人の巫女(八乙女)が描かれています。これが稚児の舞の原型ではないかと、報告書では述べられています。河口浅間神社で行われている現在の「稚児の舞」は、明治以降に奉納されるようになっただろうと結論付けています。