新発見!江戸時代末ごろ版木で摺られた富士山の御影(みえい)を限定販売!

富士山の祭神である木花開耶姫と富士山の五合目に祭られている木花開耶姫のお姉さんの磐長姫、そして八百万神を描いた御影。掛け軸として床の間や祭壇に飾られていたようです。近年、古文書などの整理をしていた中で発見。摺られた時期は、23代本庄直哉のころ。年代でいうと1860年前後かと思われます。現在、我が家の祭壇にも掛け軸にしたものが飾ってあります。今回、何枚か摺ったものが見つかりましたので限定販売させていただきます。紙のサイズは、左右が約325mm、天地が約1050mmです。ご購入希望の方は、ヤフーのショッピングサイトよりご注文ください。価格は、4980円(税込み)。送料は別となります。

 

店舗名:グローイングジャパン

「新発見!富士山信仰 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)御影 限定販売」


【富士山のおみやげ】富士山の護符(お守り)★送料無料

富士山のふもと河口湖からご案内いたします。 富士山が世界文化遺産に登録されて数年たちましたが、外国の方たちが多くなったようです。もっと英語がしゃべれたならと思う今日この頃です。 当店では、富士山のお土産としてオリジナル商品を販売しております。それは、江戸時代に作られた富士山に関連のあるものを材料にして製作いたしました。富士山は、古くは遥拝(眺めて拝む)山でしたが、次第に修験の山となり、やがて一般の庶民が登る登拝(登って拝む)の山と変化していきました。特に江戸時代の後期になると江戸を中心とした富士講(いわゆる新興宗教)と言われる人々が極楽浄土を求めて富士山を目指しました。 当店がある富士河口湖町河口には、富士山の大噴火があった865年(貞観の大噴火)、富士山を鎮めるために朝廷の命令で建てられた河口浅間神社(あさまじんじゃ)があります。ここは富士山世界文化遺産の構成資産のひとつでもあり、4月と7月に行われるお祭りでは、「稚児の舞」が奉納されます。現在、国の重要無形文化財としての調査が行われております。当店は、河口浅間神社(あさまじんじゃ)の前にございます。富士河口湖町で唯一現存する御師の家でもあります。1776年築。

当店が作製いたしましたオリジナル商品は、江戸時代に護符として作られたものや掛け軸などに飾られた御影(みえい)などの版木(はんぎ)と言われる木版画を素材に、Tシャツや手ぬぐい、ステッカー(シール)、掛け軸などをご用意いたしました。

 

★三神像は、木花開耶姫命と夫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、父親の大山祗神(オオヤマツミノカミ)です。


●amazonにも出店しております。店舗名:グローイングジャパン    0555-76-5181

左の商品は、富士山牛玉(ごおう)Tシャツ(税込1,250円/カラー:白 サイズ:M・L・LL)※黒は完売いたしました。白のみとなります。

左下の商品は、木花開耶姫(このはなさくやひめ)Tシャツ(税込2,376円/サイズ参照)

商品名 富士山牛玉(ごおう)Tシャツ(黒は完売いたしました。)

Tシャツの生地の色は白のみとなります。黒は完売いたしました。サイズは、M・L・LLの3種類です。ご注文の際、サイズを明記ください。

●お支払い方法/paypal(クレジット)。

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木花開耶姫(このはなさくやひめ)Tシャツ(税込1,800円/サイズ参照)

古くから、日本人は自然の中には神様がいると考えました。
富士山は神様がいる山、あるいは神様そのものと思われていました。
昔、富士山は度々噴火をしました。
それは、神様が怒っている、と考えました。
その怒りを鎮めるために、山のふもとに神社を建てました。
それが浅間(あさま/せんげん)神社です。

昔から、山の神様は、女性だと思っていました。
江戸時代では、富士山の神様は木花開耶姫と言われました。
浅間(あさま/せんげん)神社の神様も、木花開耶姫です。

木花開耶姫は、火の中で子供を無事に出産した、という神話(古事記)があり ます。
そのため、富士山は、安産を祈願する神様と信じられています。
木花開耶姫は、夫婦円満、縁結びの神様でもあります。

 

●ご注文・お問い合わせは:グローイングジャパン

aoa@growing-japan.com

 0555-76-5181 

 

 

この木花開耶姫の絵は、江戸末期ごろに木版画で刷られたものです。
富士山の左側には月、右側には太陽を書いています。
そこに書かれた世界は、今でなく未来を意味しています。
つまり、 富士山に登ることは、極楽浄土を意味していたと思われます。

商品名 木花開耶姫(このはなさくやひめ)Tシャツ

Tシャツは、生地の色が白・グレー・黒・ライトピンクの4種類です。絵柄の色は、紺・オレンジ・グレーの3種類です。サイズは、S・M・L・LLです。ご注文の際、生地の色・絵柄の色・サイズを明記ください。

 

●お支払い方法/paypal(クレジット)。

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「富士山と河口湖その周辺の伝説」51話。A5判60ページ(税込540円)著者:伊藤堅吉/本庄元直

●amazonでも販売しております。店舗名:グローイングジャパン   0555-76-5181

http://www.amazon.co.jp/dp/B0171ESZF4

 

地図を見ながら探し尋ねるのも楽しいかもしれません。この地域は、歴史も古く、富士山世界文化遺産の構成資産でもある河口浅間神社や河口湖湖畔に伝わる数多くの伝説も多く、歴史的で神秘的な町でもあります。

 

●この小冊子は、昭和54年(1879)に富士河口湖町中央公民館が企画した、半年にわたる教養講座”伝説から探るわが郷土”のテキストとして民俗研究家の伊藤堅吉氏が書かれたガリ版刷りのものをベースに、新たに12話を私が書き加え、「富士山と河口湖その周辺の伝説」と題して新たに世に出したものです。

 

【目次】 富士山とダイダラ坊(東京) 富士山とアマンジャク(本栖) 聖徳太子富士に登る(河口) 富士講の富士(東京) 河口湖の主(浅川) 筒口(船津) 鵜ノ島の竜(船津) 挟み石と産屋ヶ崎(船津) 富士のコノシロ(東京) 船津胎内(船津) 十二ヶ岳の役の行者(大石) 西丸尾地蔵(船津) 三十三間堂の棟木(河口) 大嵐の力もち(大嵐) 赤坂の鐘掛け松(船津) タツチュウの悲恋(河口) 秦の徐福(河口) 河童の膏薬(長浜) 河口の草わけ(河口) 長浜の笠石(長浜) 親鸞の杖つき銀杏(浅川) 鼻曲り石(小立) 御坂峠の子持石(河口) 剣丸尾と御坂山(河口) 局石(河口) 鬼利エ門(船津) 頭無山(大石) 勝山の怪力嫁(勝山) 頼朝の鞍掛け石(勝山) 天上山の隠し神(船津) ルスヶ岩(大石) メツキイ蛇(河口) 黒駒の絵馬(河口) 小曲崎の子持石(浅川) ムジナ法師(長浜) 御室浅間の竜(勝山) ケチガクボの枝折(船津) 畳岩のお猿さん(船津) 長浜の蛙合戦(長浜) 大桧伝説(河口) オカグッチャンの女たち(河口) 河口男と大石女(大石) 狼塚の由来(河口) 盲目のお地蔵さん(河口) 六首川伝説(河口) 河口御師由緒(河口) ヒイラ石(河口) 河口浅間神社の父母杉(河口) 馬乗り石(河口) パワースポット山宮社(河口) 富士山の神は「かぐや姫」?

商品名 富士山と河口湖その周辺の伝説

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富士山世界遺産記念!護符セット

 

昔、富士山は遥拝(遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと)の山として信仰されていました。やがて平安密教の影響を受け、修験道の山として登拝(信仰登山)の山へと進化してきました。室町時代以降は、布教と登拝者の世話をする富士山御師が登場します。「御師」とは、「御祈祷師(おきとうし)」を略したものです。彼らが、登拝者や信徒に配布したのが富士山の絵札です。そのひとつが、富士山牛玉(ごおう)です。版木(はんぎ)と言う木版画を墨で和紙に摺ったものです。昔は、阿弥陀三尊を背に摺ったものをまとい登りました。このことは、仏に導かれて極楽に往生することと同じ意味を持っていました。やがて、江戸後期から明治の初期には、神道の影響により木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を中心とした三神像が描かれるようになりました。絵の上部にあるものは、右が日輪、左が月輪を描いています。そこに描かれた世界が現世的な時間を超越した世界=他界であることを表したものと言えます。また、合掌する猿(申)が描かれていますが、猿は古来から「山の神」ないし、その化身として礼拝されてきました。★三神像は、木花咲耶姫命と夫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、父親の大山祗神(オオヤマツミノカミ)です。

商品名 富士山世界遺産記念!護符セット
  • 富士の女神のヒミツ:A5判カラー36ページ 富士山の祭神・木花開耶姫のお話
  • 世界遺産富士山のヒミツ:A5判カラー36ページ 富士山世界遺産の構成資産の紹介
  • 富士山の護符セット(木花開耶姫・富士山牛玉・小御岳石尊大権現)

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富士山牛玉(ごおう)手ぬぐい

 

富士山牛玉(ごう)は願いが叶う『護符』です。富士山は木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祭神としています。この護符は、江戸時代に富士山御師(おし)によって配布されたもので、木版画を和紙に摺ったものです。それが今、手ぬぐいとして蘇えりました。この護符には、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を中心とした三神像(夫の瓊瓊杵尊、父親の大山祗神)が描かれています。木花開耶姫命は、古事記・日本書紀神話で、自分の貞操の証に、火に包まれた無戸室の中で三皇子を出産したことから、安産・火坊の神として信仰されています。家内安全、夫婦円満。安産を願う女性の皆様に、お守りとして、腹帯や、腹巻の補助としてもご利用いただけます。この版木は、甲斐国都留郡川口村(現在の山梨県富士河口湖町河口)の富士山御師12坊の中の1つ「梅谷」から出てきたものです。

商品名 富士山牛玉(ごおう)手ぬぐい
  • 手ぬぐいサイズ:34×90cm ●素材:綿 ●プリント:シルク印刷 ●日本製

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川口村の口碑・史料(本庄静衛)B5判208ページ 発行者/本庄 満

 

本庄家二十四代目の静衛(1852~1918年)がまとめた「川口村に関わる史跡・伝承・石碑・古文書の写し」を、

静衛の孫である本庄満が本にしたものです。解読・解説は、以前、甲州史料調査会(富士山御師の歴史的研究: 高埜利彦監修)のメンバーとして活動された歴史研究者である西田かほる先生(静岡文化芸術大学教授)がされています。

 

静衛は、慶応四年(1868)、16歳の時に川口村の富士山御師で結成した隆武隊に参加し、甲府城の鎮武にあたる。その後、村会議員などを経て、明治二十六~三十一年(1893~1898)には川口村の村長を務めた。明治三十二年(1899)頃より、神戸造船所の事務局長に就任。神戸造船所は、川口村出身の中村準策氏が始めた会社で、政府の殖産興業政策に乗って好景気を謳歌していた。大正(1912)になってから川口に戻り、浅間神社の祠官となる。本史料は、この頃から編纂したのではないかと思われます。

 ※中村準策氏は財を成し、奈良の日本庭園「依水園」を残されました。数年前もご家族の方たちが我が家に来られました。ありがたいことです。http://www.isuien.or.jp/

 

なぜ静衛は「川口村の口碑・史料」を記そうとしたのか?西田先生によると、「静衛が生きた時代は、川口村にとっても御師にとっても大きな時代の転換期であった。明治維新をむかえ、祭政一致の政策のもと、旧来の神社や神職のあり様が一変したからである。政府は、明治四年(1871)に御師の活動を禁じた。御師は、転職を余儀なくされたのである。また、浅間神社は明治五年の社格制定で郷社とされている。それを不満とする川口村では、大正期に至るまで浅間神社の官社昇格運動を大々的に展開していった。このような情勢なのかで、静衛は浅間神社をはじめとする川口村の諸事に対する関心を深め、本史料を作成したのであろう。」と分析されています。

 

【目次】1.川口村のかたち 2.善応寺と浅間神社 3.村の歴史を物がたる古文書 4.御師の暮らしぶり

武田信玄公より駒屋に宛て、分国中の関所を通過する際、馬三匹分の関銭を免除すると言うもの。

武田家の家臣小山田彦三郎が武田勝頼の意を駒屋に奉じたものが記されています。

 

御師は、檀那場を全国に持っていたので、自由に動くためには戦国大名や江戸幕府の許可を得なければなりませんでした。

商品名 川口村の口碑・史料(本庄静衛) 発行者/本庄 満

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天照大神(あまてらすおおみかみ)掛け軸

 

天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神。皇室の祖神で、日本国民の総氏神とされています。『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されます。 天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされています。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名です。

 

左の絵は、当家で見つかった江戸時代の版木から印刷したもの。日神之尊像とも言われています。

天照大神は弟のスサノヲが高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けました。

 

親王感得(奥深い道徳や真理などを感じ悟ること )の尊像として、 学頭源顕胤(森昌胤)の名のもとに流布し、掛け軸に仕立てられ、礼拝されたものと知られています。 同様の尊像を用いた絵札(御影や神号)が、白川神道と関連ある神社や御師のもとから見出されます。

商品名 天照大神 掛け軸

●絵のサイズ:タテ270mm×ヨコ240mm

●掛け軸サイズ(三つ折):外装:タテ315×ヨコ265mm  広げた状態:タテ823×ヨコ265mm

 

●お支払い方法/paypal(クレジット)。

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三国第一山 川口御師 掛け軸

 

河口(昔は川口と書かれていました。)浅間(あさま)神社は、貞観6年(864年)の富士山大噴火ため、翌年、朝廷の命により富士山の噴火を鎮めるために建てられました。古くから富士山の北口本宮と言われておりました。

富士登山の多くは、甲府・長野・群馬・埼玉・新潟などから御坂峠を越えて河口を通り富士山を目指しました。

河口は、いわゆる北の玄関口だったのです。
祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。なお神社の社記によれば、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)・大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀るという伝えもあります。木花開耶姫命は、安産・縁結びの神様としても有名です。
この掛け軸の絵は、当家に残る江戸時代に木版画(版木/はんぎ)で刷られたものを元に作成したものです。

現在、富士吉田の浅間神社が北口本宮を名乗っておられますが、江戸時代中期ごろから、江戸からの富士講の道者さんが増えることにより、富士山を目指す人の流れも代わって行きました。北口本宮を名乗る名乗らないのトラブルは戦後まで続いたと言われております。戦後宗教法人設立時に、上吉田の冨士浅間神社に於いて当呼称使用の申請がなされ、今日にいたっていると『延喜式内 名神大社 浅間神社正史』には書かれています。

 

 

商品名 三国第一山 川口御師 掛け軸

 

●絵のサイズ:タテ270mm×ヨコ240mm

●掛け軸サイズ(三つ折):外装:タテ315×ヨコ265mm  広げた状態:タテ823×ヨコ265mm

 

●お支払い方法/paypal(クレジット)。

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木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)掛け軸

 

コノハナノサクヤビメ(ヒメ)は、日本神話に登場する女神である。一般的には木花咲耶姫と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。天照大神(アマテラス)の孫であるニニギノミコト(瓊瓊杵尊)の妻。オオヤマツミ(大山祇神)の娘で、姉にイワナガヒメ(磐長姫)がいる。
ニニギノミコトの妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。日向に降臨した天照大神の孫・ニニギノミコトと、笠沙の岬(宮崎県・鹿児島県内に伝説地)で出逢い求婚される。父のオオヤマツミはそれを喜んで、姉のイワナガヒメと共に差し出したが、ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤビメとだけ結婚した。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギノミコト)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻に
すれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。「コノハナノサクヤビメだけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである、という。コノハナノサクヤビメは一夜で身篭るが、ニニギは国津神(出雲系)の子ではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神(伊勢神宮系)であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中でホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)の三柱の子を産んだ。ホオリの孫が初代天皇の神武天皇である。火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父のオオヤマツミから、火山である日本一の秀峰「富士山」を譲られた。祀られるようになり富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになった。

木花開耶姫は富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られている。 ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされており、コノハナノサクヤビメにちなんで桜の木をご神木としている。

商品名 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)掛け軸

●絵のサイズ:タテ270mm×ヨコ240mm

●掛け軸サイズ(三つ折):外装:タテ315×ヨコ265mm  広げた状態:タテ823×ヨコ265mm

 

●お支払い方法/paypal(クレジット)。

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